<楽曲ダイジェスト> 諏訪波 - いずれ来るその日まで (日本語版)

rayelxia's starry station

2025/05/02 00:41

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こんばんは。rayelxiaです。このポストは様々な音楽やアーティスト、そしてその創作物との出会いを紹介するダイジェストです。

すべての創作者は自分なりの世界をもっていますね。私はその広々な世界に旅をしています。

絶対音感と共感覚(音響から色が見える)を持っているものとして、私が観てきた色彩をお伝えにするよう、今度のシリーズを企画しました。長々しい拙著ですがお楽しんでくださると嬉しいです。

 

DISCLAIMER

私は韓国人で、日本語と英語が話せるトライリンガルです。だから韓国外の方たちと文化が違う恐れがあります。最大限の脱稿と検討をしていますが、ぎごちない表現があったら、ご了承ください。攻撃や避難などの意図は一切ありません。

私は偽りの感想は絶対残せず、惜しい部分もここでは省略しています。もし本人が加減のないフィードバックが欲しくなさったら、Xのアカウント(@rayelxia)のDMやxahhaepica@gmail.com に頼んでくださると別で送ります。そして私は韓国語も含めて歌詞の認識がほぼできないので、文字で書いていないと内容が分からないのも申し訳ないです。

原語を書く間には負荷を減らして、真面目な感想にたどり着く為、敬語を使わない部分もご了承ください。

よろしくお願いします。

 

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今回の楽曲ダイジェストは「諏訪波」んの「いずれ来るその日まで」。この曲は2024秋M3に出品されたアルバム「天国の涙」の第一番トラックだ。

 

不思議にキャラクターとしてのrayelxiaも天使である。だから「天国」この言葉に私の目を惹かれて、長いダイジェスト旅の始まりを飾ることになった。

 

いずれアップロードする予定のrayelxiaのプレイリスト用のイメージ

 

諏訪波さんは「觀用少女」(川原由美子著)という作品からンスピレーションを得て作ったそう。

 

觀用少女は、オムニバス形式のフィクション漫画である。生きた高価な少女人形に高級牛乳まで与えて育てるというユニークな世界観の中で、さまざまな人間群像が見せる姿を描く。その人形少女が本当に愛されたときに流す涙が、まさに天国の涙。

 

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特に好きだったエピソードが「天使の涙」と繋がっていることに気づき、彼女はそこからインスピレーションを得て作品を作ったそう。涙は普通、悲しみを表すものだが、この作品での涙はその逆の意味も持てるのだ。

 

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音色大解剖

透明な鍵盤音が鳴る。

FM8のEPのサウンドかな? と思った瞬間...
突然の13/8拍子に頭を一発殴られて始まる。
sus4特有の中性的な感じが、次の内容を待たせる。

キックの拍子がすごく独特だと思った。
ボーカルの強弱とキックの強弱がずれている時もあれば合っている時もある。
Dドリアンスケールを少しずつ触っていくのだが、
クライマックスで予想外のEマイナーコードにびっくりした。

まとめると、とても不思議で夢幻的な雰囲気の曲だった。

Color Code: #1cffe5 / #fa8416

 

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自分なりの解析

觀用少女 I スノウホワイト Part2からの内容らしい。僕が理解した内容はこうだ。

 

話者はまず未来が見えないほどぼやけている世界を住んでいる。
そして何かを「こぼし」ているが、意味がよく分からなくて少し検索をしてみた。
そしたら「口調を言う」の意味もあるらしい。
これから推測すると、話者はあまり幸せな日々をすごしてなさそう。

話者は自分と似合わない相手に、ものすごく面倒な存在であるのを強調する。
それでも自分を求めて手を伸ばしてくれると、その手をひそかに握ろうとする。

ささやかでも幸せな日々を求めた、人生初めでぎゅっと握ったその手は、
別れる時が来んだとしても話者は逃がしたがってない。

そうやって壊れたり零されたりする別れを経験しても、
愛したその人はずっと流した涙の中で生きていることを表す。

 

実際のエピソードは知らないけど、最初は話者が人形の方だと思った。その作品の世界観そのままを歌詞に解きほぐしたかなっと。しかし、なぜか「自分」の呼称が「」だから、もしこれが漫画的な許容じゃないと、別の説もある。

もし、ある人が非常に憂鬱で大変な日々を過ごしていると仮定しよう。自分の生き方は(とある)理由で壊れ以外には仕方ないかもしれない。だとしても愛される対象にとっては、それが貴重な愛だと思う。

 

§

 

アルバム全体を聴いて歌詞も読んだ。辛い。 確実に、聞きやすい音楽ではない。 つまり、聞き慣れたコード進行や音色ではないということだ。食べ物に例えるなら、スパイスがとても強くて街中でよく見かることじゃない。そのたっぷり入っている個性がとても好き。この創作者がもっと知りたくなって、もっと話したくなる。

諏訪波の曲をもっと聴いてみないと限りがあるが、彼女からはドリアンの香りがする。メジャー・スケールでも、マイナー・スケールでもないことが沢山あるが、その中でもドリアン・スケールには、日が暮れる夕暮れの切なさと同時に、明日も来るという希望が込められていると思う。

この本は17年前の韓国でも入手が難しかったようだ。諏訪波さんが残した内容とウィキペディア、2008年に韓国の方が紹介した記事を読んで、内容を少しだけ見ることができた。もしその作品と出会えたら、その時にもう一度このアルバムを聴いてみたい。

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